タブロー(=絵画)には、人を変える力があります。
ときに、人生を狂わせるほど。
日本に、本物の芸術作品が見られる美術館をつくりたいという思いを、一生をかけて実現した、勇気ある愚か者たちの冒険物語をご紹介します。
「美しき愚かものたちのタブロー」 原田マハ
日本の芸術史を変えたのは、絵画の専門家ではない、実業家の松方幸次郎でした。
松方の遺志を継いで、買い集めたタブロー「松方コレクション」を取り戻そうとする男たちの戦いのストーリー。
実業家で経営者の松方が、なぜここまでタブローに熱心になれるのか。
松方の周囲に集まる男たちは、なぜここまで松方のために頑張れるのか…。
この記事には、若干のネタバレを含みます。
歴史に残る実在の人物のため、調べたら出てきてしまう内容ではありますが、気になる方は読了後にご覧くださいね。
「美しき愚かものたちのタブロー」原田マハ|登場人物
「美しき愚かものたちのタブロー」に登場するのは、実在した人物たち。
- 松方幸次郎…川崎造船所社長、衆議院議員にもなった実業家。型破りで豪快。ヨーロッパの美術品を買い集めるコレクターでもあった。
- 田代雄一…西洋美術史の研究者。松方に出会い、購入すべきタブローのアドバイスをするオブザーバーだった。
- 吉田茂…当時の内閣総理大臣。松方と親交があり、松方コレクションの返還に尽力した。
- 日置釭三郎…元航空機の操縦士で、松方の秘書。松方コレクションにおける重要人物。
作品中で「松方コレクション」と呼ばれているタブローは、現在も国立西洋美術館で展示されています。
物語のスタート時点で、すでに松方は故人となっており、主に田代の回想でストーリーが語られます。
「美しき愚かものたちのタブロー」原田マハ|あらすじ・内容
1953年、田代は、パリへ向かう飛行機に乗っています。
フランス政府に接収されている「松方コレクション」を日本に返還してもらうための交渉が目的。
田代は、昔、画廊をめぐる松方につき従って、購入する絵画の選定にアドバイスした時期がありました。
だから、「松方コレクション」の一部は田代がつくったといっても過言ではありません。
松方の夢だった、日本に本物の芸術作品を見せる美術館をつくるため。
日本人のほとんどが、本物の西洋美術を目にしたことがなく、雑誌の切り抜きや複製画で憧れを募らせるしかなかった時代。
第二次世界大戦の敗戦国となった日本が、「戦後」という負のイメージを脱却するためにも、文化の力が必要でした。
「松方コレクション」は、モネやゴッホなどの上質な絵画
「松方コレクション」は、松方幸次郎がかつて私財を投じて買い集めた絵画や彫刻。
上質なラインナップで、モネの「睡蓮」や、ロダンの「考える人」、ゴッホの「アルルの寝室」など、美術に疎い私でも知っている作品ばかり。
海外に流出した浮世絵を買い戻したものも含めると、その数は1万点にものぼります。
松方が美術品を買い集めたのは、日本の画家や少年少女が、本物の芸術作品を見られる美術館をつくるため。
戦争に向かっていた1927年、経済状況が一変してしまいます。
松方は社長を辞め、自分の財産を会社の財務整理にあてることに。
日本に運ばれていた美術品は、展覧会で売られてしまい、行方がわからなくなりました。
パリに残っていた作品も、高額な関税に阻まれ、日本に運ぶことは叶いませんでした。
そして、第二次世界大戦のさなか、敵国の財産だとしてフランス政府の管理下に置かれました。
夢だった美術館が実現しないまま、松方はその生涯を終えたのです。
タブローには、人の心を動かす力がある
そもそも、松方は本来、絵に詳しいわけではありませんでした。
きっかけは、フランク・ブラングィンが手掛けたポスターを目にしたこと。
戦争のために、徴兵制度を広報し、見る人の愛国心に訴える政府主導のプロパガンダポスター。
松方は身震いをした。不思議なことだった。(中略)
――そんなことがあるのだろうか。いや、そんなことがあってもいいのだろうか。
一枚のポスターを、そこに描かれている絵を目にして、若者が自らの命を賭してしまうようなことが。
是非はともかく、1枚の絵が人を動かし、戦争に駆り立てたことは事実。
絵には、人の気持ちを突き動かすパワーがある。
それだけで終わらないのが松方のすごいところで、ポスターを描いた画家を探して会いに行きます。
松方の行動力、決断力、熱意、意志力…やはり、只者ではないと感じるエピソード。
どんな人とでもコミュニケーションを取って、松方のファンにさせてしまう「人間力」があります。
そんな松方幸次郎だからこそ、誰もが惚れ込んで「松方さんのために」と動くのでしょう。
日置釭三郎と「松方コレクション」
「松方コレクション」を語るには、日置釭三郎の存在が欠かせません。
1921年、田代は松方に同行してパリの画廊を訪ね歩いた際、日置の姿を見ていましたが、まるで影のようで、印象がありませんでした。
しかし、1953年、田代が「松方コレクション」奪還交渉のため訪れたパリで、日置が唐突に訪ねてきます。
日本大使館関係者しか知らないはずのパリ来訪なのに、なぜか田代の泊まるホテルを突き止めて…。
日置は、松方が日本に帰国しても、ひとりでフランスに残って「松方コレクション」を守った人物。
戦時中、日本と連絡が取りにくくなり、川崎造船所からの給与振込が止まっても…。
戦火から逃れ、絵画を田舎に疎開させ、ドイツ軍に占領されても隠し通しました。
日置がいたからこそ、「松方コレクション」は守られ、寄贈返還される運びになったのです。
本物の芸術品、タブローの素晴らしさが伝わる文章
私は、絵は好きですが、名画の素晴らしさが100%わかるとはいいきれません。
ですが、さすが原田マハさん。
芸術作品を文章で語らせたら、右に出る者はいません。
「…なんて言うか…私は…いや、何を言っても追いつかない。私は、感電した。フィンセント・ファン・ゴッホという名の雷に」
初めて目にしたゴッホの絵。――ぐうの音も出ないほどやられてしまった。それは、まさしく芸術の神の打擲であった。
田代が、ゴッホの「アルルの寝室」について、友人でフランス国立美術館総裁のジョルジュ・サルに語るシーン。
田代が出会った芸術作品の中で、最も素晴らしく、松方に強く購入を勧めた作品。
この文章を読んでから、実際にはどんな絵なんだろうと気になって調べてみました。
私には、この絵を見て、こんな文章は書けません。
どんなに素晴らしい作品も、その魅力が分かる人が見て、その人の言葉で語られてこそ、一般人にも伝わるのです。
私が絵画の素晴らしさを知るには、原田マハさんのようなフィルターが必要。
松方にとって、田代のような美術に詳しいアドバイザーの存在が重要だったように。
「美しき愚かものたちのタブロー」原田マハ|まとめ
今では、日本にも美術館がたくさんあるし、飛行機でどこへでも行けるようになり、本物のモネやゴッホの絵が見られる時代になりました。
ですが、戦前・戦後の日本では、限られた裕福な人たちしか海外には行けなかったのです。
ましてや、絵を見るためだけに旅行なんて、一般人にできるはずもありません。
そんな時代に、自分の人生をかけて絵画を買い集めようなんて、凡人にはなかなかできないこと。
そして、松方の周りの人たちも、絵画の魅力と、松方のビジョンに惹かれていきます。
「松方さんのために」と力を尽くす、田代や日置の姿に胸を打たれます。
「美しき愚かものたちのタブロー」を読んだあとは、美術館に足を運びたくなりますよ。
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